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時の彩り(つれづれ、草) 024

2008.02.23 小林康夫

☆ カオス的遍歴、つづき

前回のブログをお読みの方は、きっとわたしが先週末はあれからゆっくりとすごしたのだ、と思われたかもしれないが、実は、そうでもなくて、土曜の夜は、パリ弟Ⅲ大学学長のベルナール・ボスルドンさんやEHESSのイレーネ・タンバさん(言語学)との会食。

もちろん旧知の間柄で友情に満ちた会だったが、しかし話は当然のように、大学の現状、人文科学の危機的な状況についてで、制度はいろいろ違うのだが、しかし問題のあり方はよく似通っている。厳しい競争を勝ち抜いて、やっとポストを得ると、とたんにそれから論文を書かなくなってしまう人たちのこととか、おやおや、どの国の話だっけ、と思うことも多かった。危機は深刻。対応は遅れている。西山さんが主導している研究会がなんとか「希望」の地平を照らし出すようになってほしい。


日曜はエキストラで引き受けた科学技術インタープリター養成講座(社会人向け)の授業で課したレポートを読んで講評し、そのあいまに大学院入試面接に備えて卒業論文何本かに目を通すという作業。そして月曜には、建築雑誌の『新建築』の依頼で、若手建築家(西沢立衛さん・長谷川豪さん)の設計した住宅建築を2件ほど見て歩き、駒場Ⅱの生産研究所の橋本憲一郎さんからインタビューを受ける。そこで話したことのひとつが、先週のドミニク・レステルさんの話の「二重構成主義」の応用。

つまり、建築は、ある意味では、施主の世界解釈への創造的介入的な再解釈ではないか、というもので、この視点から建築における作品主義という前提を批判するという方向は、ひょっとすると川俣正とわたしの対話について國分さんが書いている報告のある部分とつながってくる。


このインタビューのあとは、ベネッセの福武さんが新しくつくった地域文化振興のための財団(福武地域振興財団)の会議と会食で、そこでも、――わたしの言い方だが――ナショナルな枠組みを超えた文化創造の可能性について多くの議論が行われた。これは人文科学の危機にも共通する問題だというのがわたしの考えで、さあ、そのことを今日、これからあるUTCPシンポジウムで少し喋ることになるかなあ。


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