Blog / ブログ

 

Report: The Gender of Beauty in Architectural Discourse in Modern Japan

2007.12.02 「アカデミック・イングリッシュ」セミナー

11月28日、アメリカ、ノースウェスタン大学で教鞭をとるサラ・ティーズリー氏による、“The Gender of Beauty in Architectural Discourse in Modern Japan” と題された講演会が行なわれた。

広範な文献渉猟に基づいた発表は、明治期の日本における「美」のジェンダーを、西欧思想の受容のなかで生産される言説における「建築家にとっての美」と、家政学的な言説のうちの「主婦にとっての美」という二面から対比することによって照らしだそうとするものであった。

%E3%82%B3%E3%83%94%E3%83%BC%20%EF%BD%9E%202007%E5%B9%B411%E6%9C%8828%E6%97%A5Sarah%20Teasley%E8%AC%9B%E6%BC%94%E4%BC%9A%E5%86%99%E7%9C%9F%2813%29.JPG

ティーズリー氏は空間の設計に関する広義の「建築的」言説のなかから、まず、伊藤忠太や室岡惣七らによる、芸術ジャンルとしての建築を巡る言説における「美」のジェンダー的中立性、普遍性への志向それ自体が帯びてしまう男性性を指摘する。そしてその男性性に対して、「主婦の友」のような雑誌、あるいは近藤浩一や下田歌子らによる家政学的な著作において、日常的な家事労働を通して規律として内面化されると同時に、それによって初めて事物のうちに視覚的に見出されるものとして記述される「美」の女性性を突き合わせることによって、両者のあいだの非対称性を浮かび上がらせようと試みる。

だが、主に郵便局など住居でない建築物を実例としながら語られた建築美に関する言説と、おもに家事労働に関する家政学的言説との対比による立論では、それぞれの言説が扱う空間、すなわち、前者の「建築」および後者の「家」という空間のあいだに乖離があり、その結果、それぞれに固有の政治性がぼやけてしまうのではないか、たとえば建築美に関する言説が生じさせる、いわば「隠された」ジェンダー的コード化のみならず、もっとあからさまなかたちでの男性性というものが明治期の「家」にドッカリ腰を据えていなかっただろうか──発表後の討論においてティーズリー氏自身も認めた、上記のような立論が孕む空間的な乖離はしかし、「建築家の自邸」や「庭」といったテーマへの生産的な伸張を含めた、討論での多岐にわたる活発な議論をもたらしたように思われる。参加者たちが様々な方向に考えを巡らせながら討論することができた、非常に刺激的な二時間であった。(報告:萩原直人)

Recent Entries


  • HOME>
    • ブログ>
      • Report: The Gender of Beauty in Architectural Discourse in Modern Japan
↑ページの先頭へ