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中島隆博『残響の中国哲学-言語と政治』

2007.09.20 中島隆博, 出版物

 事業推進担当者の中島隆博の著作、『残響の中国哲学-言語と政治』(東京大学出版会、2007)が刊行されました。
 中国哲学と西洋哲学の交差から何が見えてくるか。荘子、朱子学、魯迅、ポーコック、アーレント、レヴィナス……。言語と政治をめぐる古今の思考に分け入り、かき消されてきた声の響きを聞くことによって、他者たちのための哲学の可能性をひらく。中国哲学を脱構築する企てです。

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「[……]以上から、この書物を『残響の中国哲学-言語と政治』と名づけたゆえんもまた、おわかりいただけるだろう。それは二つの交錯した思いからであった。
 一つは、中国哲学という、近代におけるその誕生の瞬間から哲学としての資格を疑われ、現在の日本においてはもはやその命運も尽きたかに見えるキメラ的な学への愛惜である。残響においてしか存在しないかのような中国哲学であっても、いやそうであるからこそ、残響のなかに見捨てたままにしてはならない。残響のなかに置くことは、それ自体が、哲学の政治的な挙措にほかならないからだ。
 もう一つは、その中国哲学が、言語の支配という政治を夢見ることによって、未聞の他者の声である弱い声をかき消してきたことへの警戒である。中国哲学は決して素朴なものではない。その哲学的な問題系の一つである、伝達可能性を保証する公共空間において、弱い声はあらかじめ排除されている。その排除の構造を問いながら、如何にして弱い声に耳を傾けるのかが問われなければならない。それは、中国哲学のなかにある微かな残響を聞き取ることである。
 残響のなかの中国哲学と中国哲学における残響。わたしたちは両の耳で別々の音を聞き取らねばならない。聞こうとしているのは、耳の体制を変更することではじめて聞こえてくる残響である。その残響においてはじめて、中国哲学はマイナーな人々のための、マイナーな哲学に変貌することだろう。」(「はじめに」より)

▼主要目次

序 文字の誕生――夜哭く鬼

I 言語と支配
第1章 正しい言語の暴力――『荀子』
第2章 どうすれば言語を抹消できるのか――言尽意/言不尽意論
第3章 オラリテの次元――『荘子』
第4章 言語の政治的支配は可能か――儒家・墨家・道家・法家

II 起源と伝達
第5章 文学言語としての隠喩――劉勰『文心雕龍』
第6章 他者への透明な伝達――朱子学
第7章 古文、白話そして歴史――胡適

III 他者の声
第8章 公共空間と語ること――ハンナ・アーレント
第9章 誰が他者なのか――エマニュエル・レヴィナス
第10章 速朽と老い――魯迅

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