おそらくわれわれは、「主体」という概念(あるいはそれと対になった「影」としての「他者」という概念)とはまったく別の、「終わり = 目的」という構制には回収されないもうひとつの定式、つまり《「人間」とは「環境」である》という定式を考えはじめるように誘われていると言うべきかもしれない。