戦争というような明らかに破壊的な様態がもたらす「終わり」だけではなく、われわれの単なる日常の安寧、そのために使用されるエネルギーや物質がそのまま、戦争に比べればはるかに緩慢だが、しかし人類史のスケールでは途方もなく急激な速度で、「主体」としてのわれわれというよりは、生態系としての、環境としての「われわれ」の「終わり」を準備しているという事態。