奇妙にも、人間は事実として人間であるだけでは不充分であって、それ以上に、行為あるいは思考を通じて、もしくは記号や価値といった外的な指標を通じて、さらには逆説的ではあるが、ときには人間という限界を超えて、人間以上のもの、人間の他者になることまでもが命じられている、というわけである。