だが、分断があるということは、同時に、分有の原理的可能性を暗示しているはずで、早尾さんが言うように、もしもはやイスラエル・パレスチナの二国家並立という「政治デザイン」すら、多元的な複雑系のもとにある現実に対して、ミニマルな希望をも保証しないことが確かだとするならば、わたしが窓際の夢想のように思うのは、アブラハムというひとつの「起源」の「名」を、イスラエルという約束の「名」を超えた分有へと開くことだが、この無意味な「軽さ」をひとつの星のように彼方に夢見ることが、現在のわたしの思考の「限界」であるようだ。