これもわたしはわずかに要点だけを語るだけだが、彼女が書いた評論集『西蔵筆記』が中央政治宣伝部や中央統一戦線部から発禁処分を受け、さらに自己批判の「通関」を迫られたときに、彼女がそれを「拒否」し、ラサを離れるという決断をするというまさにブランショ的な「否!」の実践があり、しかも、彼女の父親が「文化大革命」期のチベットを撮影した数百枚のネガを、会ったこともない作家・王力雄に「送 = 贈」ったというエピソード。