いや、それとも、応答するなどということは夢にも考えず、すべては政治の問題であり、あるいは技術の問題であると整理して、たとえばこれまで通り「哲学学」のなかに、あるいは「認識行動分析学」のなかに、無疵の――ということは「人類の生存そのものが危機に瀕している」という事態とは無関係の――「真理」を探し求めつづけるということなのだろうか。