すなわち、民族という概念あるいは理念は、それ自体が、再解釈された、回帰する存在論という形で現れるが故に、哲学的な思考は、意識的にしろ無意識的にしろ、つねにそれに巻き込まれ、呑み込まれる危険をはらんでいる。