さらにわたしも親しかったジャン=フランソワ・リオタールをビンガムトン大学に招いたのもかれだったときいて、ほぼ同じ年代にかれはニューヨークを、わたしは伊勢と京都を案内したんだなあ、と――ノスタルジーなしにではなく――お互いがある意味では「同じ学び」を経過し、「同じ波」をサーフしていることを確認したのだった。