しかもカタストロフィが訪れるときは、それはそれぞれの個人の経験を完全に超えていて、しかし同時に、あくまでも自然という外部からではなく、資本主義というシステムの内部から起こる。つまり、資本主義は、一方では願望された信用に、他方では、それと表裏一体となった、カタストロフィへの不安、そしてニヒリズムを、存在の基本感情として鋳込むのだ。