ここで、「哲学」という言葉を括弧付きで使っているのは、ある種のイロニーの効果のためではあるが、資本主義を単なる経済システムというよりは、もっと深く人間の本質をそのさまざまなコノテーションのもとで「経済」的に規定するきわめて強力な「存在の体制」として捉えることができるわけで、神学的な、形而上学的な、つまり超越的ないかなる理念もない「哲学の不在」であるがゆえに、逆に、いっそう強固に人間を束縛している無言の「哲学」がそこには機能している、とも思われてくる。