唐突だが、昨年の秋葉原の殺傷事件、文字通り資本のシステムから排除され、見捨てられた犯人の青年の「誰でもよかった」という発言は、その行動がありうべき共同体へのもっとも直截的な、そして絶望的な訴えの叫びであったことがうかがわれる。