これは個人的な感慨の域を出ないが、わたしには、アウシュヴィッツの後に詩を書くことの野蛮と同じように、ヒロシマ・ナガサキの後に哲学することの野蛮! とどうして誰も言わなかったのか、と訝しい思いもある。