これは、別の言葉で言うならば、少なくとも「人間の思考」つまり人文科学にとって、普遍性は、たとえ「地平」といった意味においてすら、前提ではなく、むしろけっして到達できない「目的=終り」であり、そこに向かっての運動そのものが、――ナイシュタットさんも言及していた、デリダが『条件なき大学』において中心的に援用したカントのあの「als ob」(あたかも……であるかのように)の論理のもとで、と言ってもいいが――そのまま政治的であり、政治的であらねばならぬということである。