だが、どのように突破できるのか。今回のパリ・シンポジウムの最後に司会として総括のコメントをしながら、わたしが少し苦しみながら考えていたのは、なにがこの突破の根拠となるか、ということだったのだが、そのときナイシュタットさんの「世界の政治的な意味」☆2の探求という言葉に誘導されたのか、わたしが思わず語りだしていたのが、「真理」は政治的である、というテーゼであった。