もはやカール・シュミットが言う「例外状態における決定」という形で至高性を定義することは難しく、むしろベンヤミン的な「バロック」の決定不能性がレフェランスになる、とナイシュタットさんは言うのだが、それに対しては、わたしは、いや、むしろグローバリゼーションとは、国家どころか、企業であれ、個人であれ、すべての主体が、恒常的に「例外状態」にあって、つねに決定を迫られているという事態ではないか、とコメントした。