すでに引用した「魂の人質」にしても、ここでの「主人=客」にしても、かれが魂を、身体とはちがった意味において、物質的であり、それゆえ非人間的であるようなものに「囚われた」ものとして考えようとしていることが漠然とわかるだけである。