おそらく、ここで問題となっているのは、68年の熱狂の余韻のもとで70年代、「一次プロセス」、「衝動」、「強度」などの名のもとに、あらゆる秩序化つまり体制化の動きから限りなく逃げていくような「リビドー的エコノミー」の「夢」を語ったことだろうか。