直接的な、同時代的な関係ではなく、それとは別の、なんなら「古典」と言ってもいい関係が生まれ出るためにはどうしてもくぐっていかなければならない空白の時間・個人的な思いにすぎないが、わたしにとっては、その「煉獄」の扉が少しあいたような感覚である。