少なくともそこに収められた論文のうち二つは自分でも翻訳しているはずなので、そこで言われている思考の概略になじんでいないわけはなく、おそらく気がつかないうちに、わたしの思考のなかにもその「色」が密かに忍び込んでいるのだと思うが、最近になってあらためて、わたしにとっては「先生」のひとりであり、しかも――いっしょに伊勢や京都に旅行したり、北フランスの田舎の別荘に遊びに行ったりしたなあ――(ありがたいことに)「友人」でもあったジャン=フランソワ・リオタールの『非人間的なもの』(1988年)☆1という論集にまとめられた思考の傾きにもういちど向かい合ってみようか、と思い至った。