こうしてブッダの教えの核心には、つねにある限界線が走っています――自我と世界の構成の限界、意味と言葉の限界、思考と論理の限界、実存の限界……しかしこれは同時に、――もし哲学というものを単純に真なる命題のシステムなどと考えるのではないとすれば、それをひとつの実践、つまりそれ自体がすでに「メタ哲学」であるようななんらかの実践への呼びかけであると考えるのなら――哲学という実践の核心においても走っている限界線でもあるのではないでしょうか。