こうして、わたしは、たとえば西田幾多郎における哲学と佛教の関係について論じることもできたのかもしれないのですが、そのような哲学史の研究ではなく、また、佛教の研究でもなく、むしろ「人間の危機」に直面している現代のひとりの「哲学者」として、哲学と佛教とのあいだに差し込むかもしれない一筋の希望の「光」について、直接に、語ってみたいと思います。