科学と技術と資本のこの強固な結びつきが全世界を覆いつくしているようにも思えるこの危機の時代にあって、はたして「わたしは考える」という「哲学」の不可侵の公理はあいかわらず堅固なものなのでしょうか(もちろん、無意識を定式化したあのランボーの「ひとが考える」をも含みこんだ「わたしは考える」であることは言うまでもありません)。