もちろん、中心性を確立しようとし、確立した瞬間に、実はそれが無根拠であることに否応なく気づいてしまい、その「無」に戦きながら、あるいは闘争を通じて崇高化することによって、あるいは反復によって、あるいは「来たるべきもの」へと自己投企することによって、あるいはまさに周辺へ、可能ならば「外部」へと逃走を夢見ることによって、いずれにせよみずからを未来へと預けること――そのような自己の、必然的に「より固有の」自己の未来への預託――お望みならば投げ出し(投企)――の構造こそがモデルニテの思考がとった戦略でもあった。