「興味深いことに、資本というカテゴリーを導入しつつ、マルクスはそれを記述するのに、ヘーゲルが『精神現象学』において「精神」Geistに関して用いたのとまったく同じ言葉を使っています。すなわち、自己を動かす実体the self-moving substanceであり、それはみずからの過程そのものの主体である、というわけです。このようにして、マルクスは、ヘーゲル的な意味における歴史の主体が実際に資本主義のなかに実在することを示唆しているのです。ただ、そしてこれは決定的に重要なことなのですが、マルクスはこの「主体」を(たとえばルカーチがしたように)プロレタリアとは同一化していないのです。人間一般humanityとも同一化していません。そうではなく、マルクスはそれを資本と同一化しているのです」。