〈その人〉ではなく、――それがいったい何なのか分明なわけではないのだが――歴史を救済すること、あるいはそれを解消すること、つまりそれをそのまま、たとえば、〈真理〉と化すこと――思考は、それがどれほど貧しいものであれ、自分なりの「歴史哲学テーゼ」を書こうとしていると言ってもいいかもしれない。