これもまた乱暴な、かつ性急な言い方――しかし思考にはつねに時間が欠けている(切迫だけがその唯一の味方なのだ)――だが、真正なフィロソフィアはつねに、究極的には、その苦から、つまり歴史から、脱出し、そこから救済されることを、まるで黄昏の窓辺にたたずむ旅人のように、夢見ているとわたしには思われる。