すなわち、もし対象を「見ること」が、つまりその現前を、輪郭がくっきりとし区別が際立つように「見ること」が眼差しの法措定の力であり、逆に、記憶がそれを維持する力であるとするならば、gozoCine+'で起こっていることは、そのふたつの力が「もはやそのどちらも完全にやり遂げることがない」ということである。