その全部を見て、そして吉増さんとお話をする機会があって、その興奮が残光のように揺曳していたのだろう、そこにわたし自身にもわからない回路を通じて、デリダのパッセージが、そしてそれを通してベンヤミンの若い思考が、半透明のスクリーンのように重なり降りたということになる。