この批判は、これもよく知られていることだが、自然法と実定法の区別、さらには法措定の暴力と法維持の暴力の区別などの幾重にも畳み込まれた複雑な襞を縫いながら、究極的には、神話的暴力と神的暴力の区別を超えた、区別不能の、しかし決定的な区別へと至る。