ところが、ある意味では、われわれが突入している「時代」は、これも奇妙な言い方にはちがいないが、そのような「歴史の終わり」と密かに連帯しているような「歴史」という観念の「終わり」、ということは「終わり」の「終わり」であって、言い換えれば「終わりなさ」の「歴史」がはじまったとでも言おうか、つまり歴史は終わらない。