最後には――と言いながらこの「最後」がどのような「最後」なのか、何の「最後」なのか、はっきりしているというわけではないのだが――ある種のスタイル――ほんとうはすぐにも「存在のスタイル」と言ってしまいたいのだがそれは留保しておくことにして、まずは「文は人なり」、文体がその小さな徴候であるにはちがいないスタイル――に帰着するということをプレ・テクスト(口実)にして、今回は(も)いささか変則に走る。