そう、丸山眞男の国家批判の限界をかれが「恐怖と暴力に素っ裸の状態で向き合う個人の生命と肉体に出会うことがなかった」からだと批判する金杭さんの論文の余白に、わたしがあえて書き込んでおきたいと思ったのは、この小さなミニマルな生成する共同体のイメージであった。