その核心に根源的契約の構造を見出すことは、宮本さんのハヤトロギアと同じだが、われわれは、それをもうひとつの存在神論、つまり存在からの解放の物語ではなく、存在の未完了的預けによる契約的拘束の物語、「現在」の荒野化の物語として読んできているところが異なっている。